診断薬開発雑記

臨床検査試薬を開発するバイオ技術のブログ。誰かの役に立つかもしれない事を思い付くままに書いています。

検査項目のお話

そして標準化は進まない

前回までお話ししたPSAは、標準化が上手くいった検査項目の代表例です。標準物質の作り方から、よく考えられています。

しかしイムノアッセイ法はあくまで分析法
長さならメートル原器、重さならキログラム原器を基準として合わせればいい、という計量法と同じやり方では都合の悪い点が出てくるのです。
今回はそんなお話。

まず(我々の経験上良くあることですが、)抗原というのは、検体から
精製して取り出した時点で、天然のものから微妙に変性してしまうのです。
例え変性剤や塩析による物理的なダメージを与えないでも、抗原の周りの環境(溶媒)が違うだけで、血液中の抗原とは【少し違う反応性のもの】になってしまうのです。
それこそカラムに通すだけで、検体中の抗原とは別物になってしまいます。

カラム変性

そして、この微妙に変性した抗原を免疫原として動物に注射
して、抗体を取っているのです。

抗原免疫

こうして幾つかのクローンが出来上がりますが、免疫原が変性した抗原なので、天然の抗原に対する親和性はクローン毎に違ってしまうのです。

反応性の比

このような多様な抗体を使って各メーカーが診断薬を作り、変性抗原に対して値が合うように調整してしまうと、天然抗原に対しては値がズレてしまう事になります。

値のずれ

ざっくりと言えばこんな理由で、精製抗原で作った標準物質に合うようにイムノアッセイ試薬を作っても、実際の検体を測ると測定値がズレてしまう、という現象が発生するのです

我々技術者としては、本当は標準物質なんか使わずに、基準測定法で値付けされた実検体を提供して頂いた方がありがたいのです。
ところが現在の標準化の方向は、標準物質頼りです。
薬事的にも添付文書に標準物質を明記するように求められており、メーカーはお上には逆らえません。

「何をもって標準と定義しているのか?」
結局はそんな話になってしまいます。
精製抗原を添加した疑似検体を標準品と仮定するのは、無理があると思うのです。

最近になってやっと、血清検体を使った標準化が提唱されてきました。
これが上手くいったら他の検査項目も同じようにやりましょうよ。

がんばろうPSA検査(その2)

前回までのあらすじ:
PSA(前立腺特異抗原)検査は、学会と診断薬メーカーの努力のもと、ようやく標準化が完了し、普及して多くの前立腺がんを見つけて、患者さんの治療に活躍していきました。

…と、なるはずだったのですが、住民検診にPSAを入れることに関しては根強いアンチがいるのです。しかも国レベルで。
「PSA検査に公費を使うべきではない」
なんでそんなこと言うのー!

2007年頃、厚生労働省が発表したガイドラインの中で、PSAを住民検診から外すべきという内容が書き込まれてしまったのです。
これにはPSA検査の普及を推進していた泌尿器科学会が猛反発。

実はPSAは臨床有用性のエビデンスが明確になる前に測定法が確立してしまい、後で統計的に処理すると当落線上の微妙な位置にきてしまったと、ざっくり言えばそういう事なのです。
前立腺がん自体も場合によっては治療の必要がない場合もある(前立腺がんが原因で死んでない)とか、PSA自体もがんに特異的とはいえない(前立腺肥大症でも増加する)ので、そんな検査に税金を投入するほど国の医療費は潤沢ではない、と見なされた訳です。

そうは言うけど、PSA検査のおかげで前立腺がんが早期発見の役に立つのは明確で、近年前立腺がんの発見は増加しています。その点は評価されています

その後も2011年頃には米国PTSFがPSA検診を「適切でない」という勧告が出たりして、日本泌尿器科学会が頑張って反論しています。

現在では50才を過ぎたら、人間ドックのオプション検査として自己負担額数千円でやってくれるところがほとんどです。国や自治体が無料でやってくれる所まで到っていないのです。

このように苦難続きのPSA検査ですが、個人的な意見を言えば、我々が自分の健康をどこまで知りたいか、自分の健康とどう向き合って生きていくか自分で選択する時代になったということだと思います。知りたいならオプション検査で受ければ良いし、仮にがんが見つかっても、お医者さんと相談して自分にとって良い治療が受けられれば良い(治療しない方が良い、という場合もある)のです。

そのためにはPSA検査と前立腺がんについて我々自身が正しく勉強しておかなくちゃいけません。自分の健康は自分で管理する。

体外用診断薬を作っている技術者としては、こういう議論が起こるたびに「がんばれPSA検査」と思ってます。
お金がどこから出るかの問題だけであって、PSA検査は患者さんの健康の役に立つものだと確信しています。

がんばろうPSA検査(その1)

前立腺特異抗原(Prostate Specific Antigen)の話をします。
PSAが高値だと前立腺がんの可能性があるので、50歳以上の方は検診を受けましょう、と推奨されている検査項目です。
臓器特異性が高く、治療が間に合う早期に高値になるという特長から、腫瘍マーカーの中で唯一(?)使えるのはPSAとまで言われることもあります。

今回はまず、技術的な話をしましょう。
PSAの実体はプロテアーゼなので、血清中には3つの存在様式があります。
1. PSA単体で存在するもの(Free PSA)
2. アンチキモトリプシン(ACT)が結合して不活性化されたもの(ACT-PSA)
3. α2-マクログロブリンに捕まったもの(α2M-PSA)

PSA
このうちα2M-PSAは抗体と結合できないので、イムノアッセイで測定されるPSAの測定値はFree PSAとACT-PSAの両方を合わせたものになります。
Free PSA単独で測定する検査項目もあるので、両方を測るのをTotal PSAと言うこともあります。
検診で使うのは後者です。

PSAも初期の頃は、測定値が各社バラバラでした。原因の一つはFree PSAとACT-PSAの反応性の違い。ACTが結合する部位を認識する抗体を使ってしまうと、ACT-PSAに反応せず、Free PSAにだけ強く反応する測定系ができてしまうのです。

Skewed

そこでTotal PSAの測定には、ACTの影響を受けないエピトープを認識するような、特異性の高い抗体を選んで使うのです。

Equimolar

このようにして(これだけじゃないけど)、各社測定系の改良に取り組み、2005年頃にはPSA測定系の標準化ができるようになったのです。
PSA検査標準化専門委員会と、参加したメーカーの努力の賜物なのです。

こうして技術的には正しい測定値が得られるようになったPSA検査ですが、実はこの後も苦難の道を辿ることになるのです。

あやしい検査項目その4.遊離サイロキシン

甲状腺ホルモン検査で必ず測られる、遊離サイロキシン。
イムノアッセイで測定する代表的な測定項目です。

1. 血液中でサイロキシンの99.97%は結合型
2. 化学平衡で遊離型が
0.03%存在し、ホルモン活性を持つ
3. その0.03%を測定するのが「遊離サイロキシン」である。

このように説明されると、「そんな訳ないだろう」と思えますよね。
1と2は客観的事実だけど、問題は3の説明。抗体を入れた時点で化学平衡は崩れるから、遊離型だけを都合良く測定できる訳ないじゃありませんか。

実は遊離サイロキシンのイムノアッセイでは、0.03%より多くのサイロキシンを測定しています。どれくらいかは知ってるけど内緒です。

それではイムノアッセイ項目の遊離サイロキシンは嘘なのかというと、そうではなくて、説明が良くないだけだと思うのです。

3. 結合型のサイロキシンを解離させるような薬剤を入れずに、そのまま分析するのが
「遊離サイロキシン」という測定項目である。

と言うのが正しいでしょう。
こうして得られた測定値が患者さんの臨床状態を良く反映し、診断に利用されていることは紛れもない事実です。

一方で技術的な観点からいえば、総サイロキシンは単位がμg/dL。イムノアッセイというのはn(ナノ)とかp(ピコ)の濃度を分析する方法なので、総サイロキシンのようなμ(マイクロ)の濃度を分析しようとすると、濃度が高すぎて困るのです。
実際、薬剤を大量に投入するなどストレスを掛けて感度を落としたり、わざと性能の悪い抗体を使ったりしないとうまく測定系が作れない。
その点遊離サイロキシンは単位がng/dL、イムノアッセイにはちょうど良い濃度です。性能(親和性や特異性)に優れた抗体を何のストレスも掛けずに使って分析することができるので、開発者としてはこちらの方がお勧めなのです。

というわけで、いわゆる血液中の遊離サイロキシンとはちょっと違う測定項目ですが、分析手法として合理的に作ってありますし、診断の役にも立ちます。
そういう測定項目なんです。

僕らもなかなか堂々と説明出来なくて、ごまかしていたんです。
でもちゃんとした臨床検査項目です。安心して使ってください。

あやしい検査項目その3.各種腫瘍マーカー

がんの治療というのは医療における最大のテーマの一つではあるのですが、皆さん腫瘍マーカーの測定値を見て、
「これどういう意味なの?良いの悪いの?」
と思ったこと、ありませんか?

イムノアッセイで測定される腫瘍マーカーは、どれも微妙とかイマイチとか言われています。使えるのはPSAぐらい、と言う人もいるぐらい。
早期検出に使えないとか、臓器特異性が低いとか、色んな見方がありますが、ここでは技術的な側面を紹介させて頂きます。

腫瘍マーカーの多くは、がんに伴って出現する異常糖鎖を検出するものです。
つまりイムノアッセイに利用されるのは、抗糖鎖抗体です。

タンパク質を認識する抗体は技術的に容易で、普通に動物に注射すれば特異性が同じような抗体を取ってくることができます。
ところが糖鎖を認識する抗体は技術的に難しく、同じ糖鎖を動物に注射しても特異性が似た抗体はほとんど取れないのです。
だから、取ってきた抗体の特異性によって、ある患者さんには強く結合するけど、別の患者さんにはほとんど結合しない、ということが頻繁に起こります。
かの有名なCEAでさえ、そのような傾向があります。

実はこの性質を利用して、臨床検査項目に使う抗体の供給を独占することができるのです。
つまり、抗体メーカーが癖の強いモノクローナル抗体を作り、それを使った測定法にがんと何らかの相関性があり、保険収載されてしまえばしめたもの。
他社が真似しようとしても同じ特異性の抗体を作ることはほとんど不可能なので、抗体をそのメーカーから買うしかない。

完全に早い者勝ちの商売です。
だから、腫瘍マーカーって沢山あるんですよ。
そうすると腫瘍マーカー自体を覚えるのも大変で、なおかつ抗体に癖が強いから患者さんごとに値が違い、比較できない。

腫瘍マーカーの測定値がよく分からない、という話を聞くたびに思うのは、数学では常識とされている事実。
「相関関係は因果関係を意味しているとは限らない」
全体的には臨床価値ありと思われている腫瘍マーカーでも、抗糖鎖抗体との相性によって、患者さんごとに違う基準値があるはずです。
もしかしてその患者さん、乖離してるかもしれませんよ。
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