診断薬開発雑記

臨床検査試薬を開発するバイオ技術のブログ。誰かの役に立つかもしれない事を思い付くままに書いています。

よもやま話

まだこんな課題が未解決 ④検体の適切な保存条件

よく聞かれるんです。お客様から。
「添付文書には採血後速やかに測定して下さいと書いてありますが、検体を保存する場合にはどうすれば良いでしょうか?」

実はこの質問に対する適切な回答を、私たちは持ち合わせていないのです。



皆さんご存じの通り、血清検体とは本来、全血を静置して血餅と分離した上清のこと。
だから採血後数時間経過しているのは想定していますが、「速やかに」とか「新鮮な」血清というのはどの程度の時間経過や保存温度を想定しているのかと聞かれると、わからない、と言わざるを得ないのです。

本当はどうかと聞かれると、水分さえ飛ばなければ-20℃で数年凍結保存しても測定できると思いますよ。

私たち技術者がどうしているかというと、開発の初期には様々な手段で検体を集めてきます。
共同研究先から保管検体の提供を受けるとか、売血制度がある海外から検体を購入するとかです。
ほとんどが凍結されていたり、採血後数週間経っていたりするものです。
そのような検体で十分測定できる試薬ができてから、臨床検査室に持って行って、実検体で問題なく測定できるかチェックして、発売しているのです。



それなら冷蔵保存とか凍結とかもOKにしてよ、と思われるかもしれませんが、血清検体というのはただの色水ではなく、色んな成分が溶け込んでいる複雑な溶液です。
成分というのはタンパク質、脂質、血糖、ビタミン、ミネラルとか。
中でもタンパク質はアルブミンやグロブリンの他にも、分解酵素、活性化因子、阻害因子などなど沢山入っていて、患者さんそれぞれの生態系?みたいなものを構築しているのです。
私たちの検査試薬は、そういった個人差を数値にしているのです。

そういった多様な検体に対して、一律こんな保存方法が有効ですよ、と言うことができないのです。
保存したせいで生態系?が崩れて異常値を起こす、というリスクが高すぎるから。

本音を言うと、検体の保存だって医療行為に含まれる部分だから、医療器具や診断薬メーカーに聞かないで欲しい。
だって「採血のやり方を教えて下さい」と聞かれたとして、それは注射針や採血管のメーカーに教わることじゃないでしょう。
臨床検査室の運用については、技師長なり各医療機関で責任を持って欲しいところです。

でも、そんなバッサリと切り捨てるような回答してしまうのは、あまりにも不誠実です。
お客様の都合も伺いながら、正直にこんな説明をするのが良いのではないでしょうか。

「あくまで一般的には、冷蔵保存や凍結保存した検体でも問題なく測定できることが多いです。しかし患者さんによっては何らかの劣化を引き起こす可能性が否定できませんので、診断薬メーカーとしては保証いたしかねます。ですので血清分離して、少なくとも当日中には測定を済ませるようにお願いしています。」

まだこんな課題が未解決 ③抗体と検体の相性問題

イムノアッセイが体外診断薬に応用されているのは、血液中、私たちの分野では血清検体中で、抗原抗体反応が正しく進むという大前提に基づいています。ほとんどの患者さんに対して、正しく測定できるように試薬を作っています。
でも何事にも例外があるんです。
私たちが一番よく経験するのが、ごく希に、試薬に使っている抗体と相性が悪い患者さんがいることです。

相性が悪いってどういう事かというと、例えて言うならアレルギーとか、すごく特殊な血液型不適合みたいなもの。
抗体の特定のクローンに対して過敏で、正しい抗原抗体反応が行われず、結果として異常高値や異常低値を起こしてしまう、というものです。
もちろんかなりレアなケースです。何千か何万人に一人、というぐらいでしょうか。

なぜ「特定のクローンに対して」と考えているかというと、色んなメーカーさんが同じモノクローナル抗体を使っている測定項目がありまして、それらの試薬では共通して異常値、違う抗体を使っていると思われるメーカーさんの試薬では正常、となったことがあるからです。

私たち技術者サイドでは、抗体というのはそういう性質のものだ、という認識です。
抗体は生ものですから、100%の試薬というのはできないのです(それでも99.9%ぐらいはいけると思っています)。
ごく希に相性が悪い患者さんがいて、異常値が起こる事がある、というリスクをきちんと把握しておきましょう。
このような事実があるから、添付文書に必ず「この検査結果のみで診断を行わず、他の関連する検査結果と合わせて総合的に診断して下さい」と書いてあるのです。

一般的に異常値の対策として、別のキットで測定してみるのが有効と言われていますが、抗体の相性問題の場合は別の抗体を使った試薬では何も問題なく測定できます。
だからといって、そちらのキットの方が性能が良い訳ではなく、そちらにだけ相性が悪い検体も必ずあります。

この「相性」の正体が具体的に何なのか、それは内緒です。
でもこの相性問題を専門に研究している人に会ったことがあります。うまくいったら論文に書いてほしいですね。

抗体と検体に相性があることは、技術サイドではある程度仕方ないと捉えられています。
さらに自分でELISA系を作ったことがある検査技師さん、経験のある学術・営業の方ならだいたい解っていて、
「そういう事もたまにある」
と、特に何事もなくやり過ごしているのです。

異常値

ところが一番困るのは、お客様から「変なデータが出たよ」と連絡を受けた経験の浅い営業マンが、
「すみませんうちの試薬が悪いんです。すぐに開発に言って改良させます。」
その場しのぎの誠実アピール対応をして持って帰ってきてしまうこと。
そんな事したら、お客様が納得して頂けるような回答文書を用意しないといけなくなるじゃないですか。
「元々そういう性質のものなんです」で済ませられなくなってしまうのです。
そもそも採血管1本程度の血清量で、原因分析してよと言われても無理。

みんなで幸せになろうよ。
誰のせいでもないんだよ。

まだこんな課題が未解決 ②抗体精製クロマトの不都合な現実

抗体精製の技術は昔に比べてずいぶん進歩しました。
抗体に特異的に結合する、Protein Aというタンパクがあって、それを結合した担体を使ったアフィニティークロマトグラフィーを使えば、誰でも簡単に抗体精製ができるのです。



一昔前には当たり前だった、抗血清を硫安塩析、透析、DEAEセルロースに通す、という面倒な作業は必要なくなりました。

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とはいえ、そんな都合の良い話、手放しで信じちゃってる方、いませんか?
どんな技術にも、長所と一緒に短所もあるものなのですよ。
Protein Aクロマト担体を扱っているメーカーさんは、不都合なことをわざわざ公にしていないのです。当然ですよね。

まず、そもそも論。抗血清や腹水、培地など、抗体が元々作られる場所は高濃度のタンパク質溶液の中です。
タンパク質は必ず、プラスチックや高分子に吸着し、抗体の溶出時にコンタミとして一緒に出てくるのです。
一度のクロマトで高純度精製ができるような売り文句のカタログを出していますが、原理上限界があるのは仕方のない事です。

では何回も繰り返せば良いのか、というとそんな単純なことでもないのです。
実は担体に結合されているProtein A、剥がれるんです。

前回取り上げたように、固相に抗体を結合させる技術が制御できていないのと同じで、Protein Aだけ特別という事はないのです。
剥がれたProtein Aは、当然抗体に結合した状態で溶出されます。
これを分離除去するのは、かなり大変です。
経験のある技術者なら、このような問題をどう解決するか見当がつくと思います。ここでは内緒ということにしておきます。

Protein Aに限界があるのなら、Protein GやProtein Lではどうかというと、そちらは現在絶賛開発進行中。
使ってみてイマイチ良くない、違いが解らない、という事もあるでしょう。
まだまだ、これからです。

メーカーさんとお話をすると、
「うちのは絶対剥がれません」と言うのは営業の人。
「ずっと改良を続けているのですが、どうしても限界はあります」と言うのは技術の人。
分野は違っても、建前と本音を使い分けるのは一緒ですね。
うちも似たようなものだし。内緒だけど。

まだこんな課題が未解決 ①固相結合の実態

仕事柄、いろんなイムノアッセイの技術を扱っているわけですが、何でも知っているのかと言われると、全然そうでも無かったりします。
そんな技術のお話をしてみたいと思います。

昔からあるのが「プレートのロット差問題」。

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マイクロプレートの在庫が残り少なくなってきて、新しいロットを買ってきたのは良いものの、いざアッセイ系を組んでみると、何か前のロットとデータが違うような?
実験をしている方なら、誰もがそんな経験をしていると思います。
残っているプレートをかき集めて、「この箱キープ!」とか言ってる人、いたでしょう。

本来であれば、ロット差の根本原因を追究しないといけないんですけど、大体は本筋の研究開発テーマを走らせないといけないので、プレートの問題なんか後回しにして、いつしか忘れられてしまうものです。
プレートなんて成型品だから、材料と金型が一緒なら本来同じ性能になるはずなんですけどね。
剥離剤が揮発する説なんてのも、しょっちゅう出てきます。

実は固相がプレートからラテックス粒子、磁性粒子に変わった現在でも、この問題は解決できていないのです。

たくさん


それじゃあ診断薬メーカーさんはどうしているの?って思うでしょう。
それは内緒。言えません。
ネットで検索しても出てこない事もあるんですよ。

固相に結合させた抗体のうち、何%が失活して、結合活性を持つものが何%残って、そのうち何%が剥がれるか。
そういったことが未だに制御できていないのです。
表面科学の領域です。

IgG固相化2


抗体はまだ良い方です。Fc部位でプレートに着地すればFab部位は無傷のはず、と見当がつきますから。
抗原の方はどこで着地して、どう立体構造(コンフォメーション)が変化して抗原性が変わるか解らないし、そもそも剥がれてしまったら意味がないです。

電子顕微鏡で見る?
誰もがそう考えます。
でも見るためには粒子を、試薬とは似ても似つかない環境に置き換えないといけないし、仮に見えたとしてもそれで何が解るのか。
画像と抗体の結合活性との関連性までは解らないのです。

パウリの言葉:
「固体は神がつくりたもうたが、表面は悪魔がつくった」
人である私には難しい問題なのですよ。


タイターチェックの熟練手技

「さあ、今日は抗体のタイターを調べます!」
マイクロプレートで希釈系列を作って、試薬を混ぜて静置。どこまで陽性か判定する。
一昔前、凝集法を使っていた頃には必須の実験でした。

タイター(titer)
抗体の力価。特にイムノアッセイに用いたときの抗血清や腹水の限界希釈倍率で表すことが多い。
最近めっきり聞かなくなった免疫用語です。
affinityより、avidityの方なのです。avidityで[検索]

タイターチェックの実験、いっぱい練習させられました。

【希釈系列の作り方。】
まずマイクロプレート1列目に抗血清50μL、2列目以降に検体希釈液25μLを分注します。

Titer1

1列目の抗血清(1:1)からピペットで25μLを吸引し、2列目に移して吸引排出で撹拌します(1:2)。

Titer2


そのままチップも替えずに、25μLを吸引し、3列目に移して吸引排出(1:4)、以後12列目まで(1:2048)繰り返します。

Titer3


この操作を8連のマルチチャンネルピペットで、一気にプレート1枚分、希釈系列を作ってしまうのです。
当時のピペットは精度がイマイチで、8連中1チャンネルだけ液量が多くなったりしたものです。
分解してグリスアップしたりして、いつしかピペットメンテナンスの技術も覚えてしまうものでした。

今では電動のマルチチャンネルピペットがありますが、これらの作業ができるような設定があったりします。
Mixingとかあるのは、きっとこの頃のピペッティング作業の名残なのでしょう。



【試薬の分注】
一滴25μLのドロッパー(スポイト)を使って、1ウェルに1滴ずつ、ぽたぽたぽたぽた…と入れていきます。

Titer4


熟練の検査技師さんの手に掛かれば、すごく速く正確にドロップできます。
あとはプレートミキサーで均一に撹拌し、1~2時間静置です。

【さらに巧の技】
私たちの時代にはマルチチャンネルピペットがありましたが、さらに前の時代にはドロッパーと、以前お話ししたダイリューターを駆使して検査していたそうです。

1. 検体希釈液を25μLのドロッパーで、8行11列分滴下。
2. 一番左の列に検体8例を50μL分注。
3. 25μLのダイリューター8本を検体の列に入れ、手のひらですりあわせるように、ごろごろと撹拌。
4. ダイリューターを(検体25μL分ごと)8本まとめて一つ右の列に移して、ごろごろと撹拌。
5. これを右端の列まで繰り返して希釈系列作製。
6. 試薬をドロッパーで全ウェルに滴下。

こんなエキスパートの世界があったのです。
でも当時はデジカメもなかったし、動画撮影なんか到底できませんでしたので、記録が残っていません。
もし今でもドロッパーとダイリューターで検査できる方がいらっしゃいましたら、ぜひ動画を撮って下さい。
それでYouTubeにでも上げて、熟練の検査技術を後世に伝えてもらえると嬉しいです。
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技術者TH

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バイオ系実験あるある等を気まぐれにつぶやいています。
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