診断薬開発雑記

臨床検査試薬を開発するバイオ技術のブログ。誰かの役に立つかもしれない事を思い付くままに書いています。

2019年06月

技術者のための医療経済学のすすめ その5

前回までのおさらい
1. 私たちが今でもELISAを使っているのは、低コストかつ高感度を実現するため。
2. 容器や流通・品質管理コストの方が高くつくので、診断薬そのものは安価に作らなければいけない。
3. 財源は国民医療費

さて、話を本来の医療経済学に戻しましょうか。
やっと「財源は国民医療費」という伏線を回収します。

日本の国民医療費は、年間で42兆円となっています。
厚生労働省から「平成28年度 国民医療費の概況」という資料が出ています。

国内総生産(GDP)が539兆円(平成28年度)なので、ざっくり言えば日本の経済活動全体の7.8%が医療、ということです。
途方のない金額なので私たちには想像もつかないのが本音なのですが、2019年度に国家予算が100兆円を超えた、というのは記憶に新しい話ですので、国民医療費は国家予算と同じレベルで扱う大きさなのです。

国民医療費は増加していく傾向にありますので、このまま増え続けると国家レベルで懐事情が心配になりますね。
医療崩壊とか言ってマスコミが煽る原因の一部は、この医療費の問題です。

日本の医療費は世界から見ても高いのか、というとそうでもなく、2016年に対GDP比が第6位であったという報告もあります。

日本より上なのは、医療費高騰が社会問題になっているアメリカが断トツの1位、社会福祉に力を入れているヨーロッパ諸国がそれに続いています。

国ごとに医療制度が違うので、一概に金額が医療の質を表しているとはいえないのですが、日本には国民皆保険制度があるので、医療に関してお金を掛けられる環境にあるのです。

この先は政治家の領域ですので、このブログで書くことではないと思います。
興味のある方はぜひ調べてみてください。年金危機と同じような問題を抱えています。
国民医療費をただ減らせば良い、という事ではありません。いかに効率良く使っていくかが医療従事者の課題です。
質の高い検査を安く提供していく、という事が私たち技術者の課題です。

でもね、世の中には「日本市場は難しいから新興国市場を狙う」なんて言い出す人もいるんですよ。家電屋さんなんかにこういう話をされるの、正直うんざりです。
その国の医療保険制度はどうなっていて、財源はどれくらいありますか?ぐらいの突っ込みを入れると、決まってこう言うのです。
「今後の課題とさせていただきます。」
それ、『何も考えていませんでした』を誤魔化すビジネス用語ですよね。そんなの覚えるより真面目に勉強しましょうよ。

技術者のための医療経済学のすすめ その4

前回までのおさらい
・診断薬は薄利多売の商品。
・流通コスト、品質管理コスト、在庫管理コストなどががっつり掛かってくる。
・3.財源は国民医療費 (伏線)

それでは、私たち技術者が設計できる、診断薬本体のコストはどれくらいなんでしょうか。
身近な例えとして、ペットボトル飲料のコストを考えてみましょう。

安売りしているスーパーマーケットでは、500mLのお茶が78円、2Lのお茶が138円ぐらいでしょうか。
もちろん飲みきれるのなら、2
Lの方がお得ですよね。消費者の視点では。

でもどうして、500m
Lのお茶の値段は2Lのお茶の値段の4分の1にならないのでしょうか。
500m
Lのペットボトル容器が高いから?

一方、お茶の隣の棚を見ると、炭酸飲料も、スポーツドリンクも、果物ジュースも、だいたいお茶と同じ値段です。
ただの水でさえ、500m
Lの天然水が78円、2Lの天然水が138円で売られています。

もうおわかりでしょうか。お茶に限らず飲み物の値段って、実は水とほとんど変わらないのです。
何百キロリットルというタンクで作って、本体である飲み物の製造コストを極限まで抑えているのです。
私たちがお金を払って買っているのは、実はほとんどペットボトル容器と流通コストなのです。
(どうやって開発しているのか興味津々ですけれど。)

容器と流通だけでコストのほとんどを占めている、という事情が診断薬だと変わってくる…ことはないですよね。
はい、そうです。液ものである診断薬より、瓶や箱の方が高いこともよくあります。
診断薬の開発というのは、高性能の試薬を、タダ同然、とまではいかなくても極力低コストで設計しなくちゃいけないんです。
例えば昔は抗血清を一生懸命精製するのでポリクローナル抗体が高価でした。モノクローナル抗体をアフィニティ精製する技術ができてからはかなり安価になりました。

今のところ、このようなコスト要求を満たす技術というのは、CRPレベルの血中濃度が高い検査項目ならラテックス凝集法一択、腫瘍マーカーやホルモンのような高感度が必要なレベルならELISA一択となっています。
質量分析の医療応用とか期待されていますけど、ELISAほど安く作るのは難しいのではないかと思っています。
私たちプロの診断薬開発者がいまだにELISAを使っているのは、高感度かつ安価に血中の抗原を測定できる技術として、ELISAが最も優れているからです。
ELISAを基準に今の保険点数が決められている、という側面もあります。

毎年新卒社員が来ると、「現在使われているELISAは何十年も前の技術です。技術革新が必要だと思いませんか?私は研究室でこんなすごい技術を研究してきました」とか言ってパワポで即戦力アピールするんですよ。
中身を聞いてみると、加工費に何万円掛けたかわからない超マイクロ電気泳動とかだったりします。
そういうのはお呼びでないんです。

私たちが欲しいのは、性能はそこそこでも良いから、とにかく安く、安定して作れる技術。
ELISAより安く作れる技術があれば、飛びつくと思います。
それで仮に保険点数が下がることになったとしても、お客様と診断薬メーカーの利益は確保できるように設計してみせますし、国民医療費の削減にも繋がるので、Win-Win-Winですよ。

技術者のための医療経済学のすすめ その3

前回までのおさらい。
1.医療行為の値段は(あまり高くない値段で)決まっている。
2.お客様に「いくらの利益になりますよ」という売り方をする
3.財源は国民医療費

まず1と2から、コストについて考えてみましょう。
1については、CRPで16点=160円という例を出しましたが、一般的なイムノアッセイで測定する検査項目では80~150点、つまり800円~1500円といった所でしょうか。
2について、この値段から、お客さんの利益が出るように商品の値段を設定する訳です。
当然、あまり儲からない商品は買ってもらえない訳ですから、何割かはお客さんの利益分として設定し、残りの何割かを商品の値段に設定する、という事になります。
表には出ないけど、これが診断薬の希望小売価格ですね。

ここからは一般的な商品と同じ仕組みになってきます。
まずは小売り店の儲け分を引いた、本当の商品価格を決める事になります。仕切り値(しきりね)というものですね。
流通だってタダじゃありません。ちゃんとした販売経路を持っておかないと商品は売れません。
この辺は営業さんの領域ですね。

メーカー内でも流通コストは掛かります。何より在庫管理コストが物凄く掛かります。
在庫過多の恐ろしさは、調べればいくらでも出てくる事でしょう。
診断薬には有効期限があるから大量に製造して売れないと廃棄が出るし、在庫を減らしすぎて欠品なんか起こすと医療行為である検査ができなくなってしまうので絶対だめ。このため在庫管理は民生品と比べものにならないぐらい重要なのです。

さらに品質管理コスト。医療に使うものですから、品質第一ですね。
管理体制、チェック体制を何重にも巡らせているので、その分膨大なコストが掛かります。

この時点で、商品の製造以外のコストが相当掛かっている、というのはお察しいただけるかと思います。

いよいよ商品を作るコスト。私たち技術者が設計できるのは、やっとここからです。
ざっくり製造工数と材料費。一般的な会計用語では固定費と変動費と呼ばれるものです。

もちろんこのブログで実際の金額を書く訳にはいきません。
ただ「お医者さん相手の商売だから儲かるでしょう」と言っている方々が想像しているより、遙かにエグい金額だということは確かです。

私たちが開発しているのは、贅沢品の類いでは全くありません。
完全に業務用、薄利多売のビジネスです。
まずはとにかく安く、それでいて高品質高性能。
車に例えるなら、高級スポーツカーではなく、商用車や軽トラックを開発しているような感覚なのです。

コストの話はまだ続きます。
まだまだ削られるんですよ。
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